乙亥大相撲当日は、提灯を下げた各地域の家が、鯛そうめんや刺身、自然薯のすりおろし、巻きようかんなどのもてなし料理を用意し、親戚知人はもちろん見物客をだれでも受け入れて接待していました。
また、力士も各家を回り、お酒を酌み交わし交流を深めました。
実施する家は少なくなったものの、現在も続く風習です。
乙亥大相撲では、行司(プロの呼称)と主審(アマの呼称)が裁きを行っていて、行司は代々岩井姓を名乗っています。
大相撲の木村、式守と違い、九州・四国地方の行事は岩井姓が多いとも言われていますが、乙亥ではしばらく岩井姓を名乗る行司が途絶え、昭和後期に故松下元氏が復活させ、現在まで受け継がれています。
2日目、千秋楽の末三役、最後の大関の一番は、立行司が「相撲、番数も取り進みましたるところ、この一番にて千秋打ち止めにござりまする。」と披露して、「ハッケヨイ」とがっぷり四つに組んだところで「待った」をかけ、「両々とも、御名人に、御名人となりますれば、この相撲、乙亥大相撲勧進元にお預けし、また明年ここで取ってご覧に入れまする」と口上を述べ、来年の開催を宣言して乙亥大相撲の打ち上げとなります。
力水の桶を土俵中央に上げ、徳俵を掘り起こし土俵の東西の仕切り線の辺りに置き、引き分けた大関同士がその徳俵の上に立って末三役の時に使ったボンテンを桶の真ん中にたて、それに手を掛けるとともに、関係者一同が土俵に上がり勝負俵の周りにたち円陣を組みます。
立行司は塩をまき、「ハアー、沖は大漁、陸(おか)は満作、富貴繁盛と打ちましょう。シャンシャン、もう一つ祝ってシャン、シャン、祝ってシャンで、オシャシャンのシャン」と世の繁栄を祈り、乙亥大相撲のすべてを終えます。
1986年(昭和61年)、乙亥大相撲をさらに盛り上げようと、当時の青年団を中心に野村町乙亥太鼓保存会が結成されました。太鼓のリズムで、力士が激しくぶつかり合う様子を表現しています。
2018年(平成30年)、西日本豪雨により太鼓が流出・破損の被害を受けましたが、現在も当時作られた太鼓のリズムを受け継ぎ、20名から30名ほどで活動しています。